襖の隙間

〜思考試行錯誤〜

 

変わった。確実に。

それはずっと思っていて、薄い布一枚のむこうにあるもののように
もうほぼ見えていて、気付いているというよりも具体的な、
手を伸ばせば触ることもできるほどのもので、
でも厳然として隔てられてたどり着けなかった場所のようで、
もうずっと長いことどうしようもなかった。

むー。
歌うときの気持ち。


なんでいつも、唄っても歌ってもこんな程度の満足感しか得られないのか。
そう感じ続けてきた。

なんというかそれは自分で自分の首を絞め続けている感覚というか、
あきらめているから仕方ないことなのかなとまた諦めてゆく感覚というか、
言い表せない欲求不満の中にいたんだなずっと。

わかりあえるはずがないと始めっから思っている。
その思考回路の成り立ちの理由も自分ではわかっている。
ほんとうにわかってほしかった原始の場所で、わかってもらえたためしがない。
わかってくれる存在だと私が無防備に信じてしまっていた親は、
物心ついてから訣別するまで例外なく必ず私を愕然とさせる無理解を示した。
出発点はそこで。


いつからか、自分のことはすべて他者にはわかってもらえないものだと思い込んでいる。
わかってもらえているような安心感を抱くと必ず後で、そんなふうに信じた自分に嫌悪感を感じることになる。
わかってもらえるはずがないのだ。ひとは自分ではないのだから。


とにかく根底にはその意識が滔滔と流れ続けていた。
すべての人との付き合いでも。

でもその意識で自分を諦めて一生を終えたくないとは強く強く思っていて
歌を作って歌うことに憧れたのも、もとはと言えば
知らない人たちまでが自分の言葉を口ずさんでくれる歌を持っている人たちが
八方塞の我が身と比して羨ましくてしかたなかったからだったし、
それゆえわかってもらえないとわかっている人達の前に出て行くことへのためらいが何より強くあり、
うまく歌い始めることができず、
おかげで、このままでは死ねないと、とうとう歌うことを始めたその悲壮さといえば、
途絶えることのない火でとろとろと低温のまま燃え続けた炉の中の栗が
急に大きくはぜたような尖り方であった。


・・・のに、わかってもらえないものだと思い込んでいる、
・・・・のに、人に耳を傾けてもらう場に出て行かないと成り立たない、
・・・のに、どうせ私の歌なんて面白いはずがない、と思っている、
・・・・・・・・のに、聴いてほしくてしかたない。
誰か分かってくれる人がたまにはいるのではないか、と思い続けている。
そして時々ほんとうにたまに、すごく感じ取ってくれる人たちがいて、
なのに、やっぱり、本当じゃないのかもしれないとか、
その人たち以外にはわかってもらえないのだし、とかいうふうに思っていく。

うーんいいですねぇ、と言う人が自分と感覚の合わない人たちだったりすると
いいですねぇと言われたこと自体にげんなりする。

そしてまた、ほんとうに聴いてくれる人をさがして人前に出る、
・・・のに・・・

という繰り返し。矛盾の嵐。

歌うたびの苦痛。
歌っている間じゅう満ちている悲壮感。
なんでこんなことやり続けるんだ、なんでやめられないんだ、と内に向かう問。

歌った後でお客さんとおしゃべりすると、本当は
褒めたくもないところで褒め言葉を使わないといけないというような
気を使わせているんじゃないかと思ってしまったりする苦痛。

いつも歌った瞬間に消えたかった。
すみません、と思いながら歌う感覚。
でもそれを聴いてもらうために宣伝してもらったりしていることへの矛盾。

舞台の俳優さんが、お芝居というものは演劇の神様に捧げるもので
お客さんというのは、失礼だけれど、そのおこぼれを見ているようなものだと感じる、
と言っていたのを聞いたことがあった。

まさに同じように
私もまるで見えない存在に捧げ物をするかのように歌い、
だからこそ聴いている生身の人間たちにわかってもらえなくても苦悩は無く、
たまに良かったと感じてくれる人がいればその時はその時で
ああそうですか、と会釈するだけの、
その程度のことにして進んでいかなければ、
決してお客に媚びるわけにはいかず、
ふんぞり返る客の醜い態度を見せられたくもなく、
人を信じた後に必ず襲われるわかってもらえないもどかしさに
いちいち打ちひしがれているわけにもいかないのであるから、
他に心の折り合いの付けようはあり得ないとばかり思っていた。


他の出演者たちが堂々と 「今日は楽しんでいってください。」 と言い放つ神経が、ずっと分からなかった。
何様になってどっち向いて目を瞑ればそんな厚顔な台詞をはく度胸が持てるのか、分からなかった。

その感覚は歌がウンコだと言い続けていることの根底でもある。
日々の生活の中でたまってしまう、溜めていると体に悪い、出すとすっきりするからウンコだというだけでなく、
自分の心を歌うなど、人前でウンコしてるぐらい恥しいことをしているのだと思っている。
それでも、救いとなるのは、歌ウンコはその精神を表出する手段を同じように捜し求めていた人が聴けば、
その人までもが、一緒にすっきりできることがある、というところ。

それ以外には、ひとが自分で作った歌を歌うなど
聴かされる側にとっては自慰行為を見せられる以下のことにしか感じられないはずだと、
私は信じて疑わなかった。

でも。。。。

そう考えるだけでは、何かが足りなくて。
この物足りなさ、この常習的な自己嫌悪、
こんな感覚を変えていくには、
考えのベクトルを少し修正する必要があるのでは・・・・・?
そう思うようになり。。。
なんとなく思い当たり・・・
折に触れ意識をよぎるようになり・・・・
やがていつもアタマに浮かぶようになり、、、
歌を聴いてくれる人たちの言葉や態度がいくつもよぎり。。。。
薄い布の向こうが少しずつくっきりと見えるようになり・・・

何度も何度も聴きに来てくれる人がいる。なぜ?
他の人にも聴かせたい、と連れてきてくれる人がいる。なぜ?
あの歌もいいよねぇ、それからあの歌も好きだし、あれもいいよねぇ、・・・歌を覚えてくれている人がいる。なぜ?
涙が出たと言う人がいる。なぜ?
自分の経験と重ねて聴いて浮かんだ情景を自分から話してくれる人がいる。なぜ?

初めてのワンマンライブで変な気の使い方をしてしまって、歌をあまり続けられても困るだろうと
せいぜい2曲ずつ程度に区切り区切り、歌ってはしゃべって間を空けていたら
終わってから、もっとたたみかけてほしかった、と言われて戸惑った。

私も好きな歌手のライブではがんがん畳み掛けてくるところが醍醐味だと感じるけれど、
私などがそんなことをしてもよかったのか? と不思議だった。

そして
よくよく考えてみれば、
あたしの歌は、
なんというか、歌ってもよいのではなかろうか。
そう思うに至る。少しだけ。だけど。

何か奥底の、形にすれば少し和らぐはずの痛みを
ずっと抱えてきて、まだその形をさがしている人たちに向かって。
そのひとたちの、・・・・ために?
「ために」など・・・という言葉、
「楽しんでいってください」に等しい下劣な思い上がりとみなしていたけれど、
そして今も下劣な使い方をしている人間は多いのだけれど、
いったん諦めの地点を通過した人間としては、使ってよい言葉であり意識なのではないか。
と、気がついたような。

初めて死にもの狂いでアルバム『ぎりぎりなのよ』を作って
その中の文章にも言葉を込めた。
多くはないけれど同じ感覚の人たちが必ずいるという確信がもてたので、
その人たちを探すために、会うために歌う、という、
宣言としての言葉を。

今思えばその意識は、常に両手で風を防いでいなければ
すぐ萎えてしまう弱弱しさであった。言い聞かせるように書いた。

そしてもう今はそうではなく、何はさておき、伝えるためには歌わねばなるまいて。
何はさておき、人前に出てゆかねばなるまいて。
怒号でも顰蹙でも失笑でも、どうぞ。
本当に使命感をもった医者がなりふり構わず どいたどいた!と
群集かきわけて倒れている人間にとにかくまず駆け寄るように
あたしはあたしで、
心の奥底の痛いところに手を当てるために
歌ってもよいのではなかろうか。

まさに、拓けたところに湧いてきた意識は、 どいたどいた! である。

何をどう笑われようが、けなされようが、
様々な人たちの痛いところに
ひょっとしたら痛みに気付いてもいない病んだところに
とにかく手を当てるためならば、
どいたどいた!と今日も出ていかなければ。

開き直りではなくそう思えたら
なんともピアノの前に座った視界がひらけ、腰が据わり、
世界が変わった。

理屈を超えたところで、
本当の意味で 「歌を届ける」 勝手な使命感のようなものを手に入れたら
実に清清しく、うしろめたさに引きずられず、どっしりと、歌えるようになった気がする。
きっかけはあらゆるところに散らばっていたんだな。
気付かせてくれたすべてのことに感謝だな。

1月のライブどうやった?と聞かれたので、思わずこの意識が変わった話をした。
信頼しているつもりの相手に。
その人は、私のこの 「わかってもらえるはずがないと思っていた」 感覚を、
聴く側をバカにしていた不完全な傲慢さとしてしか聞かない。
まさに、私ががっくりを繰り返す瞬間である。
けれど、もうよい。
やっぱり、と思ってやりすごす。
萎えているヒマはあるまいて。
ゴミは、出るものだ。
少しずつ廃棄率を下げてゆけばよい。
すべて、懐にとりこみましょうて。
だって、伝えなければいけないから。

どいたどいた!
で、ゆこう。

・・・・・・そんな意識になった途端に、
CDがこれまでになく売れるようになりましたとさ。

おしまい。

2007.1.26

 

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