| 映画「日本国憲法」を観てきました。 〜思考試行錯誤〜 |
ジャン・ユンカーマン監督「映画日本国憲法」を観てきました。 ![]() 「チョムスキー9.11」を観た時は ちょっと難しいという印象を持つ人が多いのではないかと思ったけれど、 この「映画日本国憲法」のほうは、もっとわかりやすかった。 今の憲法が押し付けられたものだからいけない、とだけしか言わない人たちは どんな経緯のもとにどう押し付けられたことがどのようにいけないのか、説明できてない。 敗戦直後に実際に出された日本政府による”自主的”憲法の草案というのは、 ポツダム宣言を読んでないとしか思えないほどに 主権を天皇に残したままの明治憲法をそのまま踏襲したものであったそうで、 結果的にマッカーサが立ち上がり、日本の政府とは対極にあった民衆側との協力により作られたものが 受け入れられ、その後60年間、一言も変更することなく今に至っているということだそうな。 軍人として戦争はやっぱりいけないといことを知り尽くしていたというマッカーサは この憲法にすごい愛着を持っていたのだとか。 世界の歴史の中では常に 市民が立ち上がり民主制にとって変わられた政府側からすれば 新しい憲法というのは政府の外部から押し付けられ、 政府としての権限を制限されてきたものであったとも見ることができ、 何も今になって日本だけが騒ぎ始めることではない。 なるほど。 日本は戦前戦中の行為をまだ謝罪していないと言われることもあるけれど、 じつは日本が憲法第九条を持ったことは、 ドイツが世界にむけて謝罪したのと同じだけの重さで それ以前の自らの行為の愚かさを認めたことになっているのだという。 ああ謝罪したのだなと多方面で受け取ってもらっていたのだと。 私は日本が戦争を放棄しているということはただの社会の前提というだけで もっとなんとなくしか感じていなかったけれど、 アジア諸国は特に、この第九条によって 報復して殺したところで落ちるのは首だけだと ぎりぎりのところで許してやっているところも多いという。 第九条を変更するということは、 国内問題ではなく、 国際問題なのだということ。 海外留学生たちといつも接して授業をしているだけでも、ほんとうにいつも感じる。 特にアジアからの学生たちは、シビアだ。 国として、歴史の中で日本のしてきたことをしっかり覚えているのがよく分かる。 それに比べて日本の学生の無防備さはどうか。 もっと自覚しないと。 ノリで自民党に入れて レトリックに乗せられて増税されてるような場合ではない。 第九条がこんなに積極的な世界へのアピールになっていたとは。 もう少しこんな憲法を持っていたことに誇りを持たせるような授業があってもよかったのではないかと思う。 この映画、学校を回ったりできないものか? そもそも一人500円で観た映画、学校用にならもすこし費用もなんとかして。 実際問題として、 無差別にある日急に殺される心配がそれほど無い環境しか知らなければ、 その状況のほんとうの意味など自覚できまい。もちろん私も含めて。 病気をしたことのない人間に健康のすばらしさがそれほど積極的に実感できないように。 だからこそ早いうちに見せていけばもっと 戦争をしないと決めた国にいることが積極的なことに感じられると思うのだけど。 まがりなりにも平和であることを当たり前として60年間過ごしてきたこと、 その憲法を一箇所も変更しようとしなかったことは もはやアメリカに押し付けられた云々という屁理屈とは遥かに別の次元で 日本の中に根付いてきた事実なのだということ。 けれど、 ああは言っていても日本人はすぐ言うことを変える、とアジア諸国が持っていた根底の疑念を 結局自らの手で煽ることになってしまった今の日本。 憲法改正(てゆうか改悪。)をすると決まったわけではない段階で 既にアメリカの顔色だけ観てイラクに自衛隊を派兵してしまったことは、 改正してすらいない今の第九条の存在を空洞化させたに等しい。 チョムスキーは、日本もやがてはどうせ「普通の国」になる、世界の殺し合いに加わる、と言う。 まだ今なら間に合うと思うんだ。 でも小泉の無責任なブッシュとのツルミ方が怖い。 日本の自衛隊のいくところが非武装地帯だなどという 破れトートロジカルな言葉に笑っているばかりではだめ。 とにかくできるだけ多くの人がこの映画観ないといけないな。 こんな一人っきりの私でも一応この先を憂えて考えているのだから 子を持つ身の人間や 大切な人をもっていると思っている人たちは もっと大きく声を出して動きなさい。 2005.10.30 ジャン・ユンカーマン監督「映画日本国憲法」について詳しくはこちらのページへ。 |