1998年6月1日
=1.イルカが横切った青=
6月は、誕生日で始まる。
今年の誕生日は、普通ならば教育大の非常勤で
授業にでかける月曜日だったが、
大学の創立記念日に当たっていて授業はない日なので、
一日ぽっかりと空いてしまった。
他に仕事も無く、こんな空き方はいいのか悪いのか分からない。
午後からずっと外に出ておくことにした。
でも、月曜日では博物館や美術館も閉まっている。
かといって、自宅にいても始まらない。
誕生日なんて、ほんとうに毎年ぱっとしない。
誕生日だから何だといってしまえばそれまでだし、
自分がこの日に生まれたという記憶があるわけでもなく、
周りから今日がお前の誕生日なのだといわれ続けてきたから
今日は自分の誕生日なのだと、思っているだけにすぎない。
数年前の誕生日の3日後、いかにもその日に着くように
計算して投函しました、というタイミングで、
3人の知り合いから次々に封書が届いたことがあった。
すべて6月4日づけの誕生日カードやお祝いの手紙だった。
その3人が話をした時の勘違いから始まったらしいが、
見慣れない日付のお祝い文をありがたく面白く眺めているうち、
だんだん自分の誕生日は本当は間違えられた6月4日の方だった
ような気がしてきた。6月4日でもいいなあと思った。
正しいと思っている日付にしても、同じように、周りの人間たちから
今日がその日なのだと言い聞かされてきたにすぎない。
誕生日というのはその程度にしか本人にも
確信がもてないものなのだ。
結局、そんな今年の誕生日は、新しい年齢にまだ慣れる間もなく
パーマをかけた。
細めのロットでやってもらったので四時間近くもつぶした。
出来上がりの頭は、小さくゆらゆらと無数の波線が顔の輪郭を
隠しながらまっすぐ降りていた。
生まれた時からこの髪型だったみたいに似合ってますよ、
と言われた。
ほんとですね、と言ってぽわぽわと頭を触りながら一階まで降りた。
たいてい、いつもの美容室の帰りにはそのビルの一階の雑貨屋に
ぶらっと立ち寄る。買わなくてもなんとなく二周りほどして帰る。
エスニックな雰囲気の服やアクセサリーが並び、
お香の香りがたち込めている。
以前には、そこで絞り染めの綿のシャツを買ったことがある。
それは薄い臙脂色の地色に、下のほうに絞った丸い緑が並んでいて、
縮み具合が腰のあたりを絞めるシャーリングのように見えて、
それまで持っていなかったかわいらしい感じのシャツだった。
かわいらしい系にはふつう目が行かないものだが、色合いと
綿のカジュアルさと店の雰囲気とから、違和感なく手に取ったのだった。
暗めの店内をゆっくりと見て歩くと、真っ青な曇りガラスのネックレスが
壁にピンでとめられてかかっていた。
無条件に、恥ずかしいほどまでの夏の海を思い起こさせる、
健全なブルーであった。
いくつもの、ぷるぷるとした青の雫が連なっている。
お姫様ごっこのような、おままごとのようなその雫の連なり具合を
見ていると、ふと、プサン港から博多港を目指す高速船の中から
イルカの群れを見かけたことがあったのを思い出した。
進行方向の左手に五十頭ほどの群れが泳いでいます、と船内で
アナウンスが流れたので読んでいたページから目を上げて窓の外を見ると、
海と同じ濃紺の背中が波の縞模様と交わる方向にぷるぷると光りながら
離れていった。
あの時は、照れた。
夏だの海だのイルカだのヒーリングだのと、人間たちだけが勝手に
騒いでいて、それとは全く関係ない本当の、両足をふんばったような海で、
彼らは彼らの生活をしていて、その過程の中の必然として必然的な航路を
とり、淡々と海の中を、進む必要があるから進んでいるのだった。
在るべきものが在るべきだから在るだけの、正しい海の姿だった。
壁にとめてあるネックレスをまた見上げた。
あの時の正しい海がサンプルにしてあるような色だ。
「青」なんて、自分には何の関係もない色だと思い込んでいて、
黒だのこげ茶だのばかりを意識的に身に付けているつもりではいるが、
この青には妙に惹かれる。
そんなふうに惹かれる自分がいることが、不思議でもあり、すこしだけ
自分を客観的に認識できたような気がしたので、この海の雫のネックレスは
自分のものにすることにした。
衝動買いには自信がある。
自信を持って衝動買いができる感覚を持つことは、とても大切なことだと
思っている。
あ、袋はいいです、と手渡しで受け取って、でも今日の服には合わないので
バッグの中にじゃらじゃらっと入れ込んだ。
途端に、ぷるぷるの海のエキスは、バッグの中でずっと前から
わたしのものだったように、わたしのものになった。
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