| 2006年・歌ってない立春
〜思考試行錯誤〜 |
立春です。 太陽メインのかたにも月メインのかたにも 文句無く新しい季節となりました。 飛梅も咲いたらしい。 大宰府でもぶらついてみるかな。 おもしろくなさすぎる。 もうどうでもよくなってきた。 一つ一つの嫌なできごとは明らかに 平静を保つ努力をしている自分の感情よりも外側からやってきている。 動くなということか。いちいち。 せっかく築きあげてきた人間関係が むこうからけしかけてきてはいくつも壊れる。 しかしだらだらと出口の無いこんなきついことにも またか、と感じる自分がいるなぁ。。。 もはや何故ですかなどと答を求めるふうな八つ当たりをする気にもなれない。 あたしはいったい何を鍛えられているんだか。 心の中で歌うのを停止していると 新しく会った人に自己紹介がしづらいと気付く。 ○歳のムスメのママです、とかなんとか言うだけで 自己紹介したつもりになっているような抜け殻な主婦ではないので 自分の職業を言ってもあまり自分を紹介したことにはならず、自分について口ごもる。 職業はと問われれば返答はするけれど 正しく伝わっていないはずだとどこか肩に力が入って警戒してしまう。 結果的に、今は自分を形容する手段が無いことがよくわかる。 こまったもんだ。 森達也著『放送禁止歌』(光文社)を読んだ。 私でさえ去年たっぷり経験させていただいた完全思考停止の放送関係者達の 思考停止ぶり・言葉への無頓着ぶりに腹が立つのは言うまでもないが、 まだ世界に復元力があると信じたいと繰り返す著者のような人が 放送業界にいることは驚きに近い。 そしてそんな人がたとえ深夜の枠であってもちゃんとそういう番組を作っていて ちゃんとそれについての本も出しているというこの事実を思うと あたしもちゃんと進んでって当然だろうという 結局はこれまでにも歩いてきた道を確認するところにたどり着く。 でも何よりも、 取材の中で著者が触れた一人一人の歌い手たちの 歌やその中の言葉への誠実さが嬉しかった。 こないだの日曜日、テレビで偶然 夕方から三越デパートのライオン広場でスタレビの根本要がライブをやると聞いたので ジョン・レノンの写真展を観た後に時間をあわせて人ごみの中に入り込んだ。 放送やレコード・CD発売の規制にひっかかるキワキワであろうが CMに使われて大衆の心を最大公約数でつかめる王道であろうが 噴き出す感情が外とつながろうとして メロディと言葉になった歌がしみこんでいくプロセスに変わりは無いわけで 馴染みのあるあの根本の声とメロディがシンプルな ギターとメンバーのサポートのピアノだけで進んでいく中 恥ずかしいほど涙が流れ続けて 困ったもんだった。 重なる人の頭の間から見えるピアノの鍵盤とその指を アタマの中のどこかで一緒に弾きながら見つめていると その右手の中指の指輪が実にキラキラと光っていて 今度歌を始める時には私もああいうキラッと光る指輪をして弾こう などと勝手に次に進みたがっている感情があることに気付くなどして そんなことにもいちいち人目もはばからずまた涙が出てしまっているもんで 吹きっさらしの広場で頬が寒いのだけど いろんなことがもう止まらなかったのでほっといた。 おそらくもうしばらくはこんな感じだろう。 2006.2.4 |