台風心理

〜思考試行錯誤〜


  大型の台風11号が、とてもゆっくりと進み、
暴風域は無くなったがまだ北海道に再上陸する
可能性があった夜のニュース23の「多事争論」
で、筑紫哲也が「台風心理」というテーマで
話していた。  

人間とはどうしても実感の生き物であるということ。

台風が東京からはまだ遠い地に近づいてきている
頃には、東京のスタジオから伝えるキャスターは
まだノンキな顔をしている。

東京に近づいてくると、真剣な顔付きになる。
やがて、さいわい台風は東北地方に遠のきました、と
ほっとした顔で伝えたものがいたという話もあるという。

現実問題としてそのようなおばかさんは現実には
棲息できないけれども、東京のスタジオからでも
他の街には他の風が吹いているということを認識しながら
伝えなければならない、と自戒を込めて感じた、いうこと。

 現実にはそんなおばかさんは棲息できないと
いう付け加えは、まあ、そう言っておくしかない
からなのか、大分ご出身の筑紫さんでも東京の
ど真ん中で多少軸がずれてしまっているから
なのか分からないけれど、現実にはかなり多くの
「伝える」人々がおばかさんのまま、の状況があると思う。

  台風だけではない。単に雨が降っているだけでも、
同じ事はよく起こっている。

東京で雨が降っていれば、番組の中で頻繁に、
うっとおしいですよね、とか、ほんっとによく降りますよね、とか
言っていることが、本当によくある。

福岡ではからっと晴れ上がっていても、放送で
そう言われ続けると、なんだかこっちまで雨模様のような
気分になってしまったり、
あるいは晴れているのは日本の中でこの辺だけ
なんだろうかと感じてしまったりとか、どうも変な気分になる。

結局その手のコメントの部分は無意識に
聞き流す癖がついてしまったりして、なんだかとにかく、
気分は悪い。

放送に携わる人間でありながら、
全国放送なのか、東京のローカル放送なのかの区別も
つかないまましゃべっているんだなあ、と軽蔑することも
少なくない。
よその国の街をレポートするにしても、
東京の街に例えてばかりというのも、なんだか
東京なら誰でも知り尽くしているとでも思っているのか、
表現力が無いだけなのか、それまで
そんな番組を観ていたこと自体を嫌悪してしまう。

そんな感覚を持つのは自分が元気なときだけで、
テレビは東京の人のものだから、というような
感覚になってしまうだけの時も多い。

だからますます東京に傾いていく人もいるだろう。
私の場合は、東京というのもほんとうに、広い目を
持とうとすることをしない、一地方に過ぎない街なんだなあ、
という印象をますます強くすることになる。


  福岡市ご出身の漫画家・長谷川法世さんが
西日本新聞に連載していらっしゃった文章が
『はかたレッスン』という本になって出版された。
その中で、次のようなことを書いていらっしゃる。

札幌と博多、東京からの距離はほぼ同じなのに、
博多ラーメンよりも札幌ラーメンの方が圧倒的に
知名度が高い。
札幌ラーメンは、「札幌」と都市名がついているのに対し、
博多ラーメンの方は、長いこと「九州ラーメン」として
まとめられていた、それが、東京の仕組みの様々な面を
表していると。

九州から北に就職していく先は、大阪や名古屋も多い。
しかし、北からの場合は、東京一直線。
東京へは北からの流入人口の方が圧倒的に多いのだ
ということ。

「東京」の仕組みは、そこに流入する文化の割合で
決まっていく。
そうやって、そこでの「常識」「無意識」が出来上がっていくのだろう。

かつ、そこには更に、地方のことを知らない方が
都会の人間なんだとでも思っているような「東京の人たち」の、
「ここは東京なのだ」という意識も加味されているのだろうか。

法世さんとは違って東京にはほんのちらっと
たまに出かけるだけの私でも、全く同じように実感できる。

私が東京で接した人に限って言えば、
東京生まれで東京育ちの人たちよりも、
いわゆる地方出身者のほうの言動にそのような印象を
持つことばかりであった。
それがいわゆる「東京の人たち」を構成している人々の実態であろうか。

この東京偏重意識は、治るまい。
・・・治らないというか、そういう偏重意識をもつ人間こそが、
東京に集まって「東京の人たち」を構成し続けてしまっている、
というか、そういう人々によって巨大な「東京」という場所が
出来上がってしまっている、それが「東京」であるような、
そんな気もする。
 
なにか、哀しいような、脱力するような、かわいいような、
当たり前のような、ばかばかしいような、ヘンな気分で
台風予想図を眺めていた。

 


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