ニキ・ド・サンファル

〜あたしの心の師匠たち〜

 

 群馬県の那須高原にニキ美術館がある。
1995年だっただろうか。ひとりで出かけた。

秋が一足先に深まっていく頃で、そのぴやっとする空気の透明感が、館内の喫茶店で頼んだチーズケーキの白とそれに添えられていた丸い小さな木の実の控えめな赤とのきっぱりと鮮やかな対照と一緒になって、私の中でニキのイメージの一つになっている。

 ニキの作品に強い感銘を受けた日本人女性が---ニキは1930年生まれ。YOKO増田静江さんとおっしゃる館長さんも同世代だという---、ニキに手紙を送り、返事が来て互いにやりとりするようになり、美術館を建てるに至ったという。

入り口付近には、そのニキからの手紙もひとつ展示してあった。とてもカラフルな、かわいらしい絵が文字の間に記号のように用いられていて、それもまさに作品の一つであった。

どろどろとした内面をむき出しに表現していた以前のニキの作風は、射撃によって武器や人形などに暗い色の絵の具が噴き出し、びしゃり、どろり、と重なりあってゆくなどした、おどろおどろしいものであったようだ。

しかし、「ナナ」という、彼女の中にある普遍的な女性像を具現化させたキャラクターを産んでからというもの、ニキの作風は一転してとても明るい色使いになる。

 ナナは、豊穣の女神のような幅の広い腰と豊かなバストを持っているが、顔の表情というものはない。絵の中で、また、彫刻として、晴れやかな姿で立ち、あるいは逆立ちし、また、跳ね回る。体の一部や周りの空気の中にハートや花などの明るく可愛らしいモチーフをあしらいながら、青空の青がとても印象的に使われている。

そして、その絵や像は、つきぬけたところにあるやりきれない哀しみを常に内に秘めているのだった。ほんとうにやりきれない。ただ奔放にとびはねている姿であっても。

 勝手な共感は表現者本人にとって意味の無いことであろうとも思うが、勝手な解釈は表現することと共に、必ず在る。

表現者が意図した通りの一種類の解釈しか存在させないことは、必ずしも幸せではなかろう。

ならば私が明るい鮮やかな色使いのナナとそのはじけたユーモラスな足取りから見える悲しみを通してニキに親近感を抱くことも、ニキの表現と共に在るものの一つである。

私にはそれでいい。
鮮やかなナナの様々なポーズのイメージは、常に私の中にある。

 


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